逆側からだと見えてくるもの。
2018年 03月 22日
このあいだとある方から、
「大切にしている言葉はありますか?」
と聞かれました。
そんな質問、うまれてはじめて!
(いや、卒業のときの寄せ書きには書いたかもしれない。一期一会とか・・・笑)
どきどきしてちょっぴり考え込んで、
「逆から見てみる、でしょうか」と答えました。
それは、あらゆることが、
視点を変えれば、まったく違う姿に見えてくるということ。
自分の道のりをふりかえってみると、そうだったんですよね。
たとえば、
仕事での失敗がのちのち学びに繋がっていったり、
子どもが障がいを持っていたことで、心のありかたを見つめなおせたり。
町家暮らしも、
最初はないものばかりで(光がない、プライバシーがない、収納ない)
たいへんすぎて途方に暮れていました。
けれど、ないものばかりだったからこそ、
しぜんと自分でくふうしたり、ゼロから作り出せる瞬発力がついたような。
そうやってなんでも逆さからみてみると、
一見幸せなことにはちゃあんと不幸せがひそんでいて、
喜びには悲しみがちょっぴり混じっていることに気づきます。
出会いは別れの始まりだし、笑いと涙は表裏一体。
光には影がつきまとう。
それはまるでオセロのようなもの。
きっと、人間の感情だっていっしょ。
まっすぐからだと、じぶんの本心には気付きにくい。
けれど、
逆さからだと、ちゃんと見えてきます。
これらはかつてのわたしの実際の悩みですが、
(今もちょっと悩んでるけど、笑)
ちょっと立ち止まって逆から見てみたんです。
たとえば、
「こどもがいう事をきかない」を逆から見てみたとき、
わたしの心に隠れていたのは
「わたしが、こどもを思い通りにうごかしたい」というエゴが。
そして、
「夫が家事をしてくれない」を逆から見てみたとき、
わたしの心に隠れていたのは
「わたしが、夫が家事をすることを許していない」という本心が。
わたしはこのことに気付いて、がーん(笑)
なんだ、全然相手のせいじゃないやん!って。
そりゃ、
相手のせいにしていればラクだから。
自分が変わる必要がないし、相手の愚痴を言い続けていればすみます。
だから人間だれでも、自分の本心は直視したくないもの。
逆から見てみることはときに、残酷なことです。
だけど、そこに気付けたら爽快。
やるべきことも見えてきます。
本心と、反対のことをすればいいんです。
たとえば、
子どもを思い通りにするんじゃなく、
まずはこちらから子どもの願いをきくようにすること。
やりたくなるような工夫をすること。
夫が手伝ってくれないと嘆くのではなく、
「おねがいね!」とその都度託してしまえばいいのだと。
言い続けるのもめんどうになってつい自分でやっちゃいますが・・・(笑)
そんな質問をくれたのは、
滋賀の生活クラブのイベントで広報をされていたMさん。
お話をするうちいろんな共通点があって鳥肌もの・・・
Mさんはイラストのお仕事もされているということで、
さっそく似顔絵を書いておくってくださいました^^
わあー、うれしい!
実物はこんなにかいらしくはないけど・・・(笑)
たからものにします、ありがとうございます^^