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わからない、だから歩み寄る。

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「結局のところ、なんだかよくわからない」

それが、多くの人が持つ「発達障がい」に対しての、
正直な感想なんじゃないかな。

発達障がいの定義はスペクトラム(連続体)といわれるように、
低機能自閉症から、識字にだけ困難のあるLD、
ふさわしくない場面で突発的な行動をしてしまうADHDなど、
その現れ方はさまざま。

ましてや発達途上の子どもに関しては専門家でさえ見分けが難しいとされるのに、
発達障がいと診断される子はどんどんと増えていて小学生の5人に1人はその傾向があるのだとか。
著名人も続々とカミングアウトしていますね。

反面、
「そんな子ってむかしからいっぱいいたよね」
「ただの思い過ごしじゃない?」
「ラベルを貼ってしまうから病気みたいになってしまうんだ」
って声もちらほら、聞こえてきます。

そんな声に対しては、わたしもある意味ではとても同感するし、
けれど、ある意味ではちがうなって思います。

というのも、発達障がいは病気ではないからです。
それよりも「気質」「特性」といったほうがしっくりとくる。
それは生まれ持ったものだし、肯定的な言葉にいいかえると「個性」です。


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「障がい」ということばを辞書でひいてみると、
何らかの原因によって日常あるいは社会生活に制限を受けている人」と書いてあります。

あきらかに目が見えない、聞こえない、もしくは足が1本ない、
のようにハンディが目に見える「身体障がい」とは対称に、
「発達障がい」は見た目ではわからないことがほとんど。

それがなぜ「障がい」になるのかというと、
その人の「気質」のせいでまわりとトラブルを起こすからです。

けれど、
まわりの受け止め方や感じ方がちがえば、トラブルにならないこともある。
現代では「障がい」なのに、所変われば、時代が変われば
それは障がいではなくなることもあるってこと。

むしろ、
その
質があるおかげで、
常人には不可能といわれている目標をクリアすることだってあるのです。

それは歴史を見ればよくわかること。
現代に坂本竜馬のような人がいれば、立派なADHDだと診断がおりるはず(笑)
けれど、彼にはその気質があったからこそ、周囲も驚くすごいことができた。

だから、
「発達障がい」は「社会が持っている問題」をうつす鏡のようなもの。
いわば「社会の障がい」なんじゃないでしょうか。


「よくわからないから無責任なことはいえない」
「わからないから、距離をおく」

それは一見とてもスマートなこと。

けれど、「発達障がい」をとりまく状況をみつめることは、
社会の問題点や、わたしたちの人生のあり方を考え直すことにつながる。
わたしはそうおもっています。

だって、ふつうばっかりじゃおもしろくない!
わたしとあなたは違うからこそ、色んな角度から世界を眺められる。

人は誰もが足りないところがあり、得意なことがあるから助け合って生きている。
凸凹を補いあい、時に衝突の痛みを分かち合いながら、
なんとかやっていくのが親子であり、家族であり、社会なんだとおもってます。


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わが家のゴンは診断は受けていませんが、わたしはクロだとおもっていて、
彼女自身にもそのことは伝えています。

まもなく出版される「きらり。vol2」(予約受付中!)でも語りましたが、
「障がい告知」といえばそうなのかもしれません。

やり方としては膝をつきあわせて「あなたは障がいです」と伝えるのではなく、
「あなたはこういうことが面白いよ、素晴らしいよ」ということと、
「こういうところは苦手みたいだね」ということをセットで伝えること。

かといって、苦手を克服しなくたっていいと思っています。
苦手なものはどうしても命にかかわること以外はそのままでいいし、
時間がたてば何らかのかたちでカバーできるようになっていくはずだから。

とはいえ、いわゆる「ギフテッド」のように彼女を天才だと褒めはやしたいわけでもなく(笑)
生きづらさはあるだろうけど、「自分がこういう気質でよかった」
ひいては「生まれてきてよかったな」と思える人生を歩んでほしいということだけ。

そして、診断がおりるかおりないかは別にどっちでもよくって。
だって、それは彼女の気質だし、持って産まれたもの。
わたしや他人が何かして変えられるものではないのです。

ふしぎと、彼女が特性をもつとわかってから、
血眼になって育児書をめくり「答え」を探すことはなくなりました。

それよりも、どちらかといえば嬉しかったなあ。
わたしとは全く違う感性で世界をみつめている彼女の目線に立てたから。




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今まで普通に子育てしてきたはずなのに、
医師の方や、保育関係者の方から障がいを告げられたお母さん、お父さんは、
最初は戸惑われて当然だとおもいます。

また、診断が出ていなくても「わが子はもしかしてそうかも・・・」と疑いがあれば、
ネットを見ても、専門書を読んでも、なかなか答えはみつからず、
ますます不安が募るばかり。

簡単にネット検索出来る時代だから、
情報はたくさんあればあるほど良いとされているけど、
その多くが眉唾ものだったり、かえって不安をあおるものになっているかもしれません。

育児に不安があるのなら、スマホで検索する手をひとまずとめ、
子どものありのままの成長や魅力を感じること。

いつか起こるかもしれない問題を想像してため息をつくよりも、
「今ここ」を楽しむ、おもしろがってみる。

するとちょっとずつ、不安は楽しさにおきかわっていくはず。
それは障がいがあってもなくても同じ「幸せのかたち」だとおもうのです。


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7/9(日)はマリアさんとふたりで、
そんな「おやこ暮らしの面白がり方」を
実体験を交え、みなさまと座談会形式でお話させていただくことになってます。



まだ席に余裕があるようですので、
もしご興味のあるかたは私でもマリアさんでも朝倉さんでもかまいませんので、
お問い合わせくださいね。

詳細はこちら→


お待ちしています^^




by fu-ko-handmade | 2017-06-26 13:53 | 発達障がい

手づくり暮らし研究家、FU-KOこと美濃羽まゆみのblogです。京都の古い町家から「ものを作る、幸せのかたちを作る」をテーマに、手づくりのある暮らしを提案します。


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