インスタでもコメントをいただきましたが、
先日いきおいあまって新聞の読者覧に投稿しまして^^;
そちらが3/19日の京都新聞朝刊に載ってます。
わたしは毎日、新聞の読者欄をたのしみに読んでいて、
なるほどなあ、と思うことやそんな考えもあるんやなあ、
とびっくりしたりもします。
さいきんとても多いのが、子どもへの虐待について。
そのほとんどが
「愛情はないのか」
「かわいい我が子をあやめるだなんて鬼のようだ」
「虐待だなんてありえない」
といった、親への憤りにあふれたもの。
もちろん、
子どもを死なしてしまったことは許されることではありません。
それはよおく、わかります。
でも、起きてしまったことを責めるばかりでは、
また同じことが繰り返されるんじゃないだろうか。
もしかしたら、親もなにか問題をかかえていたんじゃないだろうか。
そんな胸のざわつきがおさまらず、おもわずペンをとりました。
最近話題になっている、娘をあやめてしまった父親は、
職場ではとても「いいひと」だったのだとか。
娘がいうことをきかないため、
「しつけ」と称して日常的に虐待をしていたのだといいます。
もしかしたらですが・・・
この父親も、幼い頃親に厳しくしつけられたのかもしれません。
子どもは自由で気ままなもの。
それでこそ子どもらしいといえると思うのだけど、
必死に努力して社会とどうにか折り合いをつけてきた父親にとっては、
そんな子どもの気ままさが、がまんならなかったのではないかな。
父親もおそらく、かつての被害者。
悲しみは悲しみをよびよせます。
だから、
虐待をしてしまった親を責めるばかりでは今後、
虐待される子どもはいなくならない。
むしろ、そうすることでわたしたち子どもを育てる親をいっそう、
萎縮させてしまうんじゃないかな。
わたしにも身におぼえがありますが、
方向をまちがうと時に愛情は凶器になります。
誰だってまちがうことはある。
状況においつめられることもある。
自分だけはありえない、間違えない、とは決して考えられないのです。
投稿して初めて知ったのですが、
京都新聞への投稿は文字制限があり、すべては書ききれず。
あふれる思いを、
4月発売の「きらり。」8号での記事にしました^^
今回も遅れに遅れ、ようやく締め切り前日に校了。
編集長、ブロスさん、いつもほんまにすみません・・・
発達障害専門誌「きらり。」8号のテーマは「親子関係について」
また発売日前にご紹介させてくださいね。