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学校へ行く意味ってなんだろう?行かない選択をした息子に思うこと。


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9月に入り、暑さも少しずつおちついてきましたね。

かわらず学校に行かないまめぴーと、
一見おだやかに、でもとてもドラマティックに日々をすごしています。

まめぴーの学校に行かない選択とそれにまつわる出来事をアップしたところ、
コメントやメールでたくさんのメッセージをいただきました。





同じ境遇におられる方はもちろん経験者の方、
教育関係にお勤めの方からも。

温かなメッセージ、わたしたちに寄り添うような言葉、まっすぐなご意見、
どれもほんとうにうれしかったです。

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なかには「どうして彼の決意を受け入れられたんですか?」
「美濃羽さんみたいに見守れる母でありたいです」
と言ってくださっていた方もいらして。

それはたぶん、わたしができた母親なのではなく・・・

まめぴーと5歳離れた長女、ゴンのおかげだと思います。

彼女に鍛えられ、子どものありのままを見守れるようになったからこそ、
まめぴーが学校に行かないときめたとき、
不安なくその決意をうけとめることができました。

これまで何度となくお話していた、彼女の発達障害のこと。

とはいえ、とくべつ支援は受けていませんし、
公式な診断も受けていません。
その理由については一言でいえば「彼女がそれを選んだから」
ほかにももろもろありますが、長くなりそうなのでまた今度・・・

幼いころから行動が突拍子もなく、頑固で、マイペース。

初めての子だったのでこんなものだろうと思い込むようにしていましたが、
破天荒な彼女の言動・行動にふりまわされ、
当時は時間的にも気持ちにも余裕がなくてイライラ。

思い通りにならずに落ち込んでばかりの日々でした。

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でもある日、
そもそも「思い通り」ってなんだろう?って思って。

たとえば、

彼女がなにかに夢中になっているとき、
声をかけてやめさせたり。

将来困らないように、とマナーを厳しくしつけたり。

食が細く味覚も過敏だったのに「食べないと大きくなれないよ」と
なかば脅しながら食べさせたり。

彼女がせっかく選んだおもちゃを「きっとすぐに飽きるよ」と自分好みのに促したり。

そんな、数々の「よかれとおもって」を繰り返していました。


でも、そうやって「思い通りにしよう」と思えば思うほどに、親子の溝は開くばかり。
笑顔でいられる時間が、どんどん少なくなっていく。
こりゃおかしいぞ、と一歩踏みとどまって考えてみたのです。

なんでわたしは彼女を思い通りにしたいの?
と自分の心にきいてみたとき、その答えは「そうならないと不安だから」でした。

ということは、それは彼女のためなんかじゃなく、
自分が不安になるのが怖いから、自分が可愛いだけなんじゃないのか。

彼女は生まれたときから「彼女自身」それ以上でもそれ以下でもないのに、
わたしの「こうあるべき(とわたしが勝手に思ってる)子どもの姿」を
おしつけたいだけなんじゃないか。

そんな自分の心の中にある、あさはかなほんとうの気持ちに気づいたとき、
「ああ、わたしはいままで彼女のためを思ってやってきたけど、
もしかしたら邪魔ばっかりしていたのかもしれない」と、
申し訳ない気持ちでいっぱいになったのです。
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「そうか、わたしがしなくちゃいけないのは子育てじゃない。
この子が育つのを邪魔しないことなんだ」

そう気づいてからは、なんとも心がはれやかに。
どことなく意識していた「ちゃんと育てなくちゃ」という肩の荷がおりたよう。

瞬間的にイラッとしてしまうことはまだまだ多いけれど(笑)
親子が笑顔になれる時間が少しずつふえてきたように思います。

そして、わたしが彼女に対して自分の考えをおしつけず、
彼女がどうしたいかをできるだけ聞くように心がけるようになると、
なんとも彼女の瞳がいきいきしてきたのです。

自分で選んだ服でうれしそうに出かける彼女。
何度も何度も手に取るのは、自分で選んだ絵本。

そう、
なにかを選んだら、自分のちからで「世界が変わる」。

そんな、知らないうちに忘れていた大切なことを、
目の前の彼女におしえてもらったのでした。

それからは何より、彼女が「自分で選ぶ」こと、
そしてわたしは自分の考えをおしつけず、
彼女と「一緒に考えること」を大切にすごしてきました。

小学生低学年のころから彼女は、
自分のしたい習い事(はじめることもやめることも)、今日買うおやつ、自転車、
お小遣いの額やその用途、服や本もふくめ、身の回りのあらゆることを自分で選んでいます。

やがて、わたしは「~しなさい」をほとんど言わなくなりました。
だって、言わなくてもどんどんやっていくんだもの(笑)

ときどき「こんなんあるで」と紹介したり
「わたしはこう思うけど」と意見することもあるけれど、
それは正論ではなく、あくまでもわたしの限られた人生経験から得られた、
個人的な意見だと伝えます。

なので、結果的に何を選ぶかは彼女の自由。
それがたとえ、わたしたちにとって理解不能なことであっても(笑)

その結果なにか困ったことになったり、
たとえ一度決めたことをやめることもあったとしても、わたしはそれに対して何も言いません。

けっこう夫なんかは「だから言ったやろー!」とか言ってますが^^;
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また、これは驚かれる方が多そうやけど・・・

ゲームや動画を見る時間に関してもとくにルールは設けていません。

途中不安に思って何度かそうしたこともありましたが、
自分のなかにある根拠のない不安に気付いてやめました。

以前インスタでまめぴーのことをアップした時フォロワーさんに教えていただいたんですが、
おなじくお子さんの不登校を経験された、よっぴーさん。

ゲームにまつわるこの記事、わたしの気持ちを代弁してくださっているようです。





わたし自身大好きな手芸や読書などにのめりこむと時間を忘れるし、
誰かに「やるな」と言われたことほどやりたくなるもの。ひねくれものやから?(笑)

だって、勉強や読書だったら何時間やっていてもOKなのに、
ゲームや動画は1時間しかアカンって、考えてみたら何が根拠なんでしょう。

ことばづかいが悪くなるから?
依存になる可能性があるから?
目が悪くなるから?

目に関していえば、わたしは子どものころさほどゲームはやっていませんでしたが、
本が好きで好きで歩きながら読んだり、家族が寝静まってから暗い明りでこっそり読んだりしてたら
見事に目が悪くなったっけ(笑)

聞くところには100年前、小説は不良の読むものだったのだとか。
今や漫画やアニメは日本が世界に誇る文化の一つになっているけれど、
わたしたちも子どものころは親にいろいろ言われたものです。

だから、わたしたちにとってなじみがないって理由だけで「ゲーム=悪」だとするのは、
ちょっと短絡的なんじゃないかな。

それよりも子どもが時間を忘れて夢中になれたり、
慣れないキーボードや音声入力で必死に裏技を探したり、
友だちと協力してプレイしていたりする姿はとってもイキイキ、楽しそう。

レベルがあがるたび、新しい仕掛けができるたびに飛び上がって報告してくれて、
そんなうれしそうな顔をみれて幸せやなあ、って思うのです。

とはいえ動画なんか「何時間見てるの!」って怒鳴りたくなるときもあるけど、
そうしたくときはあえて「何見てるんー?」って横に座っていっしょにみる。
そしたらめっちゃ面白かったりして、動画見たあともその話題で盛り上がったり(笑)

そんなんも、悪くないなあとおもいます。


と、話がちょっとそれましたが・・・
「子どもが自分で選ぶ」にもどりますね。



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ともかく、自分で選んだことならがんばれるし、
結果が成功でも失敗だったとしても「自分ごと」として受け入れられます。

「どっちにしよう?」と脳みそをフル回転させ、決断し、
そしてその結果をうけとめて次の選択に生かす。

たまに「小さな子がちゃんと自分で選べるのかな」とか、
「まだ経験が浅いのに子ども任せにしていいの?」と疑問に思われる方もいらっしゃいますが、
任せられるようになってから任せるのでは遅いんじゃないかな、と思うのです。

むしろ、自分で選ぶからこそ、真剣になる。
真剣に考えるからこそ、それに見合う力がついていくはず。

なのに、
選ぶことをせず「こうしなさい」と大人たちの言うことを聞き続けた先に、
大人から「そんなことしちゃいけません」と言われて自分のやりたいことを押し殺し続けた先に、
その子に「未来を生きる力」ははたして、ついていくのかな。

そんな想いがあるから、わたしは子どもが「自分で選ぶ」を大切にしたいのです。



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そんな「選ぶ子ども」なのはまめぴーも一緒で、
ついこないだも習い始めたばかりの日舞を「やっぱやめたい」となんとたった3回でやめちゃったし(笑)
家元、笑顔で送り出してくださってほんとうにありがとうございました・・・!

縁遠いとおもっていた野球も偶然出会って「楽しそう!」と言い、即日やることに決めた、
そんな彼のことをわたしはとっても頼もしいと思っています。

さらに今回のこの、学校に行かないという選択も、
同じ次元の話なんじゃないかな。

そういえば、ゴンとまめぴーとが通っていた保育園も「子どもが自分で選ぶ」園でした。
行事なども出たくなければ出ないでいいし、やりたいことはとことんまでやっていい、
を大切にしてくれた。

けれど、逆に学校という場所では「自分で選ぶ」があまりに少ない。
(学校や先生にもよるとは思うのだけど)

自分が納得いかないことでもきまりだからやらなくちゃいけない、
せっかく遊びに夢中になっても時間がきたらやめなくちゃいけない、
逆に、勉強のためなら嫌なことでも途中でやめてはいけない。
などなど。

多くの大人が「嫌なことをやるから忍耐力がつく」というけれど、
「自分で選んでいない」ことを強要されてはたして忍耐力がつくかといったら、
つくわけがない。

それは単に、あきらめただけ。

あきらめた結果、
やりたくないことを我慢して続けて心や体をこわしたり、
周りの目を気にして本当の気持ちが言えなかったり、
大人になっても「嫌なことを耐えて」ずっと苦しんでいる人が身近に少なくないです。



先日目にした衝撃的なニュース。


これも、子どもの「やりたいこと」よりも
「やらなくちゃいけないこと」を優先させた結果なのではないかな。

そしてそばに暮らす大人たちもまた、
「やらなくちゃいけないこと」に押しつぶされ、目の前のことを楽しむ余裕をうしなっている。
そんなふうに見えて仕方ありません。


インスタのコメントで「学校に行く意味ってなんだとおもいますか?」
と質問していただいた方がいらっしゃいましたが、
わたしはそこははっきり、無理してでも行く意味や理由は「ない」と考えています。

ない、というより「自由」。
人それぞれ、と言ったほうがいいかもしれません。

↑のよっぴーさん、お嬢さんのまりんさんが書かれているとおり、
親が子どもに「学ばせる」義務があるだけで、学校に「行かせる」必要はない。

ただ、子どもはひとしく「学ぶ権利」を持っているだけなのです。
※重要!学ぶ=学校に行く、ではないです。

そうそう、
よく放課後にまめぴーの同級生たちが遊びにくるんですが、
「なんでまめぴーは学校いかないの?」と聞かれるので
「行かないと自分で決めたんだよ」と答えてます。

「ずるいー」とか「学校は行くものだよ~」とか言う子もいるけど、
「きみたちも我慢しとるんやー。でも行くか行かないかはほんとうは選べるんやよ」と返すと
とっても不思議そうな顔をする。

子どもも大人も、
多くの人が「学校に行かなくてはいけない場所」だと思い込んでいるからなのだとおもいます。

実際、こんな法律(教育機会確保法)もできています。

学校に行くか行かないか、ほかの学校を選ぶかどうかは本人の意思次第だと、
法律で保障されているのです。

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ただ、
子どもが行きたければ行き、行きたくなければ行かない。

学校という仕組みにその子が合うか合わないか、それだけ。

とはいえ、学校そのものの意義、
いまの学校で子どもたちの幸せのために頑張っておられる方々を
決して否定するつもりはありません。

学校という言葉でひとくくりにしてしまうのは、ただの偏見だと思うからです。

すばらしい学校や先生方もたくさんいらっしゃるとおもいますし、
そんな場に出会えたらどんなに幸せなことかとおもいます。

けれど、もし子どもが学校という場で苦しさを感じたときは、
それは自分の好きに選んでいいことなんだよ、と言ってあげたい。

そして、
自分の人生を人のせいにせずに持てる力をおもいっきり発揮して
最期まで「いまを生きる」ことを楽しんでくれたらええな。

そう願わずにおれません。


さて、実は先週学校の先生あてにあるアクションを起こしたわたしなのですが、
長くなっちゃったのでそのことについてはまた今度^^


たくさん読んでくださりありがとうございます~!





by fu-ko-handmade | 2020-09-08 15:00 | 学校に行かないという選択

手づくり暮らし研究家、FU-KOこと美濃羽まゆみのblogです。京都の古い町家から「ものを作る、幸せのかたちを作る」をテーマに、手づくりのある暮らしを提案します。


by FU-KO