くらら庵の遠足に行ってきました。
今回はみんなのリクエストで水族館に。
平日だったので人もすくなく、のんびり見てまわれてよかった。
みんな久しぶりの水族館に目をきらきらさせて楽しんでいました。
そのあとは目の前にある梅小路公園へ。
夕方までどろんこになって目一杯遊びました。
ボランティアと偉そうに言ってるけど、
子どもたちに遊んでもらってると言った方が正しい。
この日もむっちゃ楽しかった。
子どもたちからたまに間違えて「先生~」って呼ばれたりするけど、
お互いあだ名で呼び合う、上も下もない関係。
気遣いあい、尊重しあっているから
大人は叱ることもなければ、指示することもなくて。
それでも子どもたちはそれぞれがちゃんと考えて、
声掛けあって行動できていて、ほんまにすばらしかった。
自分の頭でしっかり考えられて話し合いができて行動力があって、
なんて素敵でたのもしい子たち。
だけど、だからこそ、学校になじめないのだろうな。
写真は小学生SちゃんとMちゃんの作品です。
秋のコレクションやって^^まるで絵画みたいやわあ。すてき!
次の日の朝、新聞の一面をみて愕然としました。
不登校の子の数が過去最多なのは、すでに知っていたこと。
(そして、おそらくこれは過小評価した数字で実態はもっと多い)
おどろいたのは文科省が発表した、
不登校の子どもたちが学校に行かない要因(とされているもの)。
不登校の主な要因とあげているのが、「無気力・不安」が47%
ついで生活リズムの乱れが12%となっていますが、
ほんとうの原因はそんな言葉一つで到底あらわされるものじゃない。
「無気力・不安」は原因じゃなく態度。
それは子どもたちの意思表明なんだとおもう。
子どもたちのほうに原因があって学校になじめない、のではなく。
どちらかといえば、
学校や社会のほうにこそ、無気力や不安を感じるほどの「原因」がある、
と言ったほうが正しいんじゃないかな。
学校や社会が「こうあるべき」と考える教育のありかた自体に無理がきていて、
いまの子どもたちはそれにそぐわないだけ。
くらら庵に来ている「無気力」とは無縁の子どもたちを見ていると、
それをひしひしと感じます。
この子たちは「学校に行かない選択」を周りの人から肯定されているし、
居場所があるから生き生きとしていられる。
でももしその選択を「無気力」と決めつけられ、
学校や周りからそれを責められてしまったなら。
きっと不安で不安で仕方ないとおもう。
自ら命を絶つ子が増えているだなんて本当に痛ましいことだけれど、
子どもたちは身をもってそのことを教えてくれているのかもしれません。
対策としてカウンセラーを増やすだなんて、お門違いもいいところ。
みんな一斉によーいドン、の時代は終わったのだとおもう。
子どもの興味も能力もさまざまなのだから、
「学びたい」と思うタイミングはそれぞれ違ってあたりまえ。
学校以外の学びの場所は、もっと保障されていいはずです。
わたしたちは彼らの小さくて強い意思表明をもっともっと、
大きな声にしていかなくちゃならない。
そう強く心にきめた朝でした。
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