先日行われた平野神社奉灯祭。
はじめて親子で舞を納めさせて頂きました。
写真だけ見ていると涼しそうな風情ですが、
この日は残暑も厳しく夕方でも30度近く、
緊張による脂汗とあいまって滝のような汗が。
(課題曲が「もみじの橋」だったので、合わせの着物を着ているせいもあったのかも)
でも群青色の夕空に、ふんわり灯る提灯はほんまきれいやったな。
子どもたちは参加が決まっていましたが、
わたしが参加をきめたのは実は9月になってから。
年始の舞い初めで決意したのは「堂々と」。
これまでは発表の機会があったとしても自分が納得いくまで出るのをやめておこうとか、
どんなに練習しても自信がなくて、表情や動きがぎこちなくなってしまったり…
そんな自分を責めてばかりいたし、どことなく踊りを心の底から楽しめなかった。
でも、もし自分が観客だったとしたら、
(わたし本位で)うまく踊れているかどうかじゃなくって、
踊り手が「今に集中している」姿を見たいと思う。
だから、どんなに自信がなくたって堂々とすること。
本番の瞬間すべてを味わい、集中しようと心にきめました。
とはいえ本番前は緊張で慌てふためくわたしを尻目に、
ゴンはいつもに増して余裕綽々。
いつだって平常心なんよなあ。鋼メンタル分けてほしい。
まめぴーは最後の最後まで迷っはったけど、
結果不参加を声明。
ここのゼリーは子どもたちの大好物!いいお値段なのでたまの贅沢やけど。
不参加の理由は、出来が満足いかへんかったんやって。
うん、気持ちはよくよくわかる。
わかりすぎるほどわかる。
周りに流されずに「やらない」としっかり決めることもまた、大切なことやとおもう。
そんな彼のことをけっして無理強いせず、
意思を尊重してくださる、家元の大らかさが本当にありがたいなあ。
見守って下さったたくさんの温かい眼差し、そして神様のご守護。
そしてわたしのへたくそな舞など吹き飛ぶような皆さんの素晴らしい舞。
舞台に上がる前には止まらない汗と今にも飛び出しそうな心臓。
でも本番はほんとうに無心に、見ている方と神様へむけて、奉げるように。
踊ることに集中できたと思います。
とはいえ今みるとめちゃくちゃ恥ずかしいので、ちいちゃく載せときます(笑)
わたしたち3人が親子で舞踊をつづけられているのも、
ほんとうに家元のお人柄と、舞踊団のみなさんのあったかいまなざしのおかげ。
日本舞踊は「型」があります。
お辞儀一つとっても扇を相手へ向けて倒し、
膝の前に手を揃えたら相手へ目線をむけて。
息を吐きながら頭を下げもう一度相手に目線を向けたら、
扇を手に取る前に目線を扇へうつす。
ひとつひとつの所作が決まっています。
子どものころ日本舞踊をはじめたとき、それらが何とも古めかしく、
意味の分からないものに思えましたが、今はちょっと理解できる気がして。
心は見えないもの。
だからこそ、心を込めて型どおりにお辞儀をし、物に触れ、手渡す。
そのふるまいのなかに魂が宿る。
型を大切にすることは、相手も、そして自分も大切にすることなのかもしれない。
そう思うのです。
親子で習い事も、もう5年目。平野
踊りを通じてたくさんの大切なことを学ばせていただいているなあ。
暑い最中、
駆けつけて下さったさおりさん、ありがとう♪
もちろん、客席から見守ってくれたまめぴーも!
「ちゃーちゃん、じょうずやったよ!」って言うてくれて、
涙が出そうやった。
ありがとね。