
京都の始業式は一足早く、25日でした。
前の晩のこと、
「明日どうしよっかなー。ま、起きてから決めるわ!」
とあっけからんと言ってのけ、すやすや寝息を立てた息子。
朝起きてしばらくふーむと考えたあと
「やっぱ今日学校行くのやめとく!」
そして何事もなかったかのように、
てきぱきと朝のルーティン(水やり、朝食、プリント学習)をこなす。
その後「そういや今日天神さんや!」と気づき、
「うふふ~、わざと登校時間に出かけてみんなを羨ましがらせよっかな」
なんて小悪魔の笑みをうかべてた。
こんなふうに軽やかに言えるようになるなんて、
3年前のあのころが、まるで遠い遠い昔のことのよう。
彼曰く、行き渋り全盛期だったときの、
一番つらい記憶はほとんど覚えていないんだそう。
朝目覚めては「こわい」と泣き、登校時間がくるたび青白い顔をして
トイレに閉じこもってたあのころ。
そして行かないと決めたあとも、
家にとじこもってゲームしかできず、
食事も限られたものしか食べられなくて、
同級生たちと会いたくなくて昼夜逆転していた時期さえありました。
もともとの明るい彼に戻ってほしくって、
あれやこれやと励ましの言葉をかけたり、
学校に付き添ったり、カウンセリングを受けたり。
また、わたし自身の不安を解消したくって、
新しい居場所を見つけようと躍起になったこともあったなあ。
フリースクールや転校などについて調べてみたり、
習い事をすすめてみたり、学習を習慣づけようと働きかけたりも。
でもどれも回復にはつながらなくって。
たぶんそれはわたし自身の目が
「将来」にしか向いていなかったから。
表からは見えないけれど、彼の心はぼろぼろに傷ついていました。
まるで大けがを負っているようなものなのに、
それを癒すことに目を向けようとせず、無理をさせていたわたし。
傷口に塩をぬりこむようなことをしてしまって、
彼には本当に申し訳ないことをしました。
将来をあれこれ想像することほど、
あてにならないものはありません。
自分のことを思い返しても、若い頃あれやこれや不安に思ってきたものは、
過ぎ去ればなんでもないことばかり。
そう、心配していたことの99%は起こらないのです。
だとしたら、
大事なのは「将来」にあれこれ気をもむことなんかじゃなく、
「いま」彼がしあわせかどうかに目をむけよう。
わたしに出来ることは新しい場所をみつけることじゃない、
家から一歩もでなくたっていい。
今いるこの場所を、安心な居場所にしていこう。
そう心に固くきめました。
夫とも、たくさんぶつかりました。
「学校に行かないのならこれぐらいやっておかないと」
と躍起になる夫に、くりかえしくりかえし思いを伝えました。
時に怒りにふるえながら、涙と鼻水にまみれながら。
何度も何度も衝突しつつ、彼も少しずつ行動を変えてくれました。
教科書やドリルは押入れに封印して、習い事も全部やめて。
一日何にも予定も決めず、好きなことを心ゆくまで楽しみ切る日々。
それが一月たち、二月たち…
彼の目がみるみる光を取り戻していきました。
新学期がはじまって、不安を感じておられるお子さん、
ゆれうごく気持ちをもてあましている親御さん、多くおられるとおもいます。
でも、どうかこれだけは。
焦れば焦るほど不安は大きくなるものです。
心の傷口が大きいほど、回復には時間はかかります。
わが子が傷ついているということは、
親であるあなたも傷ついているということです。
まずは「いま」お子さんとあなたが過ごすこの場所を、
安心で、落ち着ける場所にすること。
そのことだけに、集中してみてください。
落ち着けたらすこしずつ、先のことを考えていけばいいんです。
「だいじょうぶ、なんとかなるよ」
3年前のわたしにかけてあげたい言葉です。
こんなに大切なことを体当たりでわたしに教えてくれた息子。
彼には感謝しかありません。
彼の行動がきっかけでわたしも活動に加わることにした、
不登校の子たちの居場所、くらら庵。
そんなくらら庵の取り組みのこと、
先日天然生活さんに取材いただきました。
息子が学校に行かない選択をしたことで、
わたし自身の人生観もがらりとかわりました。
また、くらら庵を通じて、
あらたなかけがえのない出会いもありました。
苦しい時期もあったし、これからも悩みは尽きないのかもしれないけれど、
自分の弱みをさらけだし、勇気を出して一歩踏み出してみれば、
そこには新たな世界がひろがっています。

ページでは代表朝倉と、並んで掲載いただいています。
ふたりとも満面の笑顔!
ぜひ書店にてお手にとってみてくださいね。
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